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虎穴に入るも、虎子は得ず。

1号報告書

2008年9月20日

要約

ガーナに到着後約3か月。まだ活動は始まったばかりですがこの報告書では、これまでの 活動、いや出来事や感じたことについてまとめておきます。僕の任地はガーナ北部に位置 し、ブルキナファソとの国境にも近いゼビラという町です。気候はサバンナ気候。雨季と 乾季があり今は雨季。雨が降ったときは涼しくも感じられます。そんなゼビラにあるのが 僕の配属先Zebilla Secondary Technical Schoolです。4つのコースからなる公立高校で、 生徒達はみんな元気。先生たちもみんな元気。週一回の朝会の時も笑いが絶えないそんな 学校です。この学校で僕は、物理とICT(Information and communications technology) を担当することになりました。ただし少し授業数が多いのが心配です。僕の今のところの 活動に関する主な相談相手は、Assistant Headmaster です。彼が実際の学校業務をしき っています。住居の防犯設備について、担当教科について、すべて彼と相談をして話を進 めています。学校では教員不足はあるようですが、かといって先生方を見ているとそれほ ど困っている様子もうかがえず、いつも楽しそうにしている印象を受けます。生徒と先生 の関係も良好で、休み時間には先生の注意を生徒がうまくかわしているような、そんな微 笑ましい場面も見受けられます。ガーナ人はみんな陽気です。そしてとても人なつっこく 親切です。町の中を歩いていると、挨拶するのが大変なくらいです。2年間という時間の 中で僕に何ができるかはわかりませんが、2年間という時間を地元のガーナ人と一緒に過 ごすということは間違いありません。陽気で、人生を楽しむ達人とも思えるガーナ人と共 に活動することで、お互いに何かを発見し成長しあって行けたならとても幸せです。協力 隊の活動は、任地だけにとどまるものではありませんが、僕はこの観点から、自分の任地 での活動を最優先としてやっていきたいと思っています。

1.活動地域及び配属先の概要

首都アクラから北へ約600Km。主要都市ボルガタンガからトロトロ(乗合バス)で、東へ 約1時間。そこらじゅうに山羊や牛がおり、一面の草原。家が点々と存在し、人々はお互 いに知り合い同士。僕の任地ゼビラは、そんな田舎町です。現在(9月)は雨季にあたり、 時に大量の雨が降り注ぎます。また停電もしばしば起こり、そんな夜は本物の闇となりま す。町には通称「タウン」と呼ばれる商店街があり、その裏には3日に1度開かれるマーケ ットがあります。住民はタウンとマーケットで生活に必要な物を購入しています。工場な どの大きな産業がないため、仕事が不足している状態です。そのことから住民たちは産業 の工業化を望んでいるようです。

僕の家は学校の敷地内にあり、タウンへは徒歩で約30分、最寄りの井戸まで約300mです。 配属先の学校、Zebilla Secondary Technical Schoolは、literary、science、technical、 home economicsの4コースからなる公立高校です。現在僕以外にアメリカ人ボランティア が活動しています。彼はICTを担当しているようです。このことから、学校はボランティ ア受け入れに比較的積極的なのではないかと推測されます。

2.ボランティアが所属する部局の概要

活動については、Assistant Headmasster と行うことになっています。どうやらAssistan t Headmasster が学校の内部的な指揮をとっているようです。学校ではICTにも力を入れ ており、現在コンピュータ棟を建設中で、完成すればインターネットも使えるようになる ようです。同僚の物理教師は2人おり、2人とも授業は熱心に行っていました。しかし、雨 が降ると雨の音がうるさくて授業にならない、先生が学校に来ない(来れない?)といっ た理由から休講になるという、途上国ならではの常識?がまかり通っているのも事実です。 また、授業を見学した限りにおいては授業中に演示実験などの実験が行われている様子は ありませんでした。実験をした方が良いとの指摘を試しにしてみたところ、実験に必要な 物を買うのが金銭的に困難だ、との答えが返ってきました。実験準備室を見せてもらいま したが、あまり整理されておらず、転がっている機材が使えるのか、壊れていて使えない ものなのかの区別もつきませんでした。ですが、実験器具自体がまったくないわけでもな さそうなので、使える物を探し出して使用したいと考えています。

3.配属先のニーズ

配属先の学校では、science、technicalコースを対象の選択物理とICTを担当することに なりそうです。物理の授業では実験、演習問題を取り入れた授業を行うことが期待されて いるようです。また、僕が元コンピュータプログラマであったことから、ICTの授業を行 うことの他に、正式な要請とはなっていませんが、コンピュータプログラミングを課外授 業的な形で行ってもよいのでは、といった話も出ています。それ以外には現在のところは、 これと言って強い要望があるわけではありません。教員不足はあると思いますが、かと言 って現在学校が回っていないわけでもありませんし、同僚教師を見てもそれほど困ってい るといった印象は受けません。むしろ日本人である僕がガーナ人教師の間で活動をするこ とで、彼ら自身が問題点や改良すべき点(あるいは現状の良い点)を発見し、改善へ向け て動いて行ってくれることを望みます。そのきっかけとなるのが僕の存在意義であり、も しそんな存在になれたなら僕は幸せです。ですから、僕は要請にあまりとらわれず、自分 のやれること、ガーナ人と共にやれることを探し、どんどん首を突っ込んでいきたいと思 っています。

4.活動計画の準備状況

活動を始めるにあたってまず自分の住む住居に関することと担当する教科を話し合いまし た。住居には、バーグラバー(窓やドアにはめる鉄の柵)等の防犯設備が全くなかったの で、その設置と各ドアの鍵の交換と追加をお願いしました。これを要望する際はフィール ド調整員の方とセキュリティーアドバイザーの方の力もお借りしました。これらの要望は 受け入れてもらえ(ただし費用はJICAが負担)、赴任の日までに工事もほぼ終えていてく れました。担当教科については、当初の要請では物理か化学を教えるということになって いましたが、話し合いでは物理と数学を教えてほしいとの要請がでました。数学は当初の 要請に入っておらず想定外であったので、慣れてきたらやっても良いがはじめは物理にし てほしいということを言い承諾してもらいました。しかし自分が元コンピュータプログラ マであったことから、ICTを教えてほしいといわれ、結局、物理 2クラス+ICT 1クラス。 1クラス=7ピリオド(1ピリオド40分)なので、週21ピリオド。これは周りの先輩隊員の 話を聞いても多い方なので、はじめは、せめて半分くらいにしてもらえないかとお願いし ましたが、受け入れてもらえませんでした。

5.任国の印象

ガーナ人はよく、My friend という言葉を使ってきます。初めて会ったのにもう友達。ガー ナの人は本当にフレンドリーです。しかし特に首都など都市部では、親切に道などを案内 した後にお金を要求されることがあります。ですが任地のような田舎ではそのような人に 出会ったことは今のところなく、本当に親切です。それからガーナ人はとにかく大音量が 大好きです。朝も5時を過ぎるともう大音量重低音でノリノリの音楽がかかります。目覚 ましいらずです。また、夜数日に1度くらいの割合で学校の一室から太鼓の音とともに生 徒の歌声が聞こえてきます。これはお祈りだそうで、日曜日の礼拝もそうですが、宗教的 な行事も大切にしている印象を持ちました。同じ宿泊施設に住んでいるガーナ人には、 「ガーナを楽しんでいるかい?」「物理を教えることを楽しめよ!」と事あるごとに言わ れます。彼らは、いつも陽気です。いつも楽しそうにしています。彼らは、物事を楽しむ 達人なのではないかと思ってしまいます。僕は日本人でありガーナに住んでもそれは変わ りませんが、そんなガーナ人の人生を徹底的に楽しむ姿勢は、ぜひとも参考にしたいと思 っています。

2号報告書

2009年1月5日

要約

ようやく現地での活動が始まったかと思ったら、もうガーナへやってきてから約半年。活 動期間の4分1が過ぎ去ろうとしています。僕は理数科教師なので、主な活動は学校で授業 を行うこと。しかし教師経験もなく英語もさして得意でない自分にとっては、すべてが手 探り。手探りながらも今後の活動の青写真を描き、自分の近未来像を想像するのはなかな か楽しい作業です。日々の授業の中で、自分だからできることを展開していきたい、それ が活動計画を考える上での一つの指針となっています。また、自分の活動が教室の中で行 われる独りよがりのものにならないよう、他のガーナ人教師にもそれとなく見てもらう機 会を作りたい。しかしだからと言って、「日本式」あるいは「JOCV式」の押し付けにもし たくない。あくまでここはガーナですから。なので、活動はボトムアップ式で進めていき たいと考えています。自分の活動にガーナ人教師を、できれば彼がメインという位置づけ で取り込んでいきたい。そんなことを考えつつ計画を立てました。字数の関係ですべてを 述べることはできませんが、添付の活動計画表とともに活動計画を本報告書に記載します。 また、半年間のガーナ生活を通して、習慣の違いや考え方の違いから、いらいらしたり迷 ったりしたこともたくさんありました。それらは、彼らの時間に対する感覚と計画性のな さに起因するものです。しかしながら、だからと言って彼らが何もしていないかというと そんなことはありません。たとえ計画性がなくても何とかしてしまう、彼らガーナ人には そんな不思議な能力が備わっていると感じます。イライラするのは自分が日本式にはまっ ているからで、むしろ彼らは日本人が持っていない不思議な助け合い精神を持っている。 最近僕は、その不思議な能力に魅力を感じるようにさえなっています。

1.活動計画の説明

ない英語力をひねり出し、あとは身振りと手ぶりなど言語以外のすべての手段を使って今 学期を何とか乗り切れそう。それが授業を開始して約2か月、今の心境です。通常授業、E xtra授業をまずは軌道に乗せる。これが当面の目標です。日々行う授業を中心としつつ、 自分らしさを活かした活動として授業中にコンピュータを利用してみたいと思っています。 これは実験授業の代わりという位置づけではなく、生徒の理解を助ける補助教材という位 置づけです。すでに試験的に一度行ってみましたが、なかなか好評で理解度も上がったよ うに感じています。今後は自分一人ではなく他の同僚教師も巻き込んでいきたいです。少 なくともコンピュータを理数科の授業で使うという発想だけでも残していきたいと思って います。またそれと同時に実験授業の実施にも取り組んでいく予定です。高校で行う実験 の場合、実験器具がないと行うことが難しいものも多いのは事実です。しかし授業中にち ょっとした物の動きや現象を見せるだけでも生徒の学習意欲や理解度を高めることはでき るはず。そんな小さな所からコツコツと活動の範囲を広げていきたいです。

2.活動計画策定に向けた配属先との意見交換

赴任当初は、ICTの授業も担当するようにと言われていましたが、今のところICTの授業は ふられていません。配属先にも現状、物理の授業を行うのでいっぱいいっぱいの状態だと いうことは伝えてあり、配属先もそれを了解しています。当分の間は授業の質を上げるこ とに集中したいと思っています。また、毎月の活動報告を配属先に提出することで、自分 の活動を知ってもらえるようにしています。また、はじめのうちは、同僚教師も「ガーナ 人教師」というくくりでしか見れていませんでしたが、赴任後4ヶ月が経ち、個々の性格 や立ち位置がだんだんわかってきたので、これぞという先生を捕まえて、一般教師レベル から活動を広げていこうと思っています。コンピュータを利用した教材作りに関しても、 数学の先生と話を少しずつ進めています。校長先生などにいきなり話を持って行くのも手 ですが、ボトムアップ式の活動の方が、個々の教師のモチベーションも高まるのではない かと考えています。あくまでも主人公は現場のガーナ人教師その人ですから。

3.配属先の動向

学期が始まった当初は、生徒が「マスターがいないから授業してくれ!」と言ってきたり、 多少の混乱が見られましたが、学期途中でもどんどん新しい教師が投入され、教員不足と いう問題はすでに解消されていると考えられます。僕が住んでいる長屋に住む先生の入れ 替わりも早く、すでに僕が一番の古株です。また、実験の授業をするために時期は未定で すが、ボウクのサイエンスリソースセンターにスクールバスで行くことがあるということ が新たに発覚しました。ボウクは現在渡航禁止区域に指定されており、僕は行くことがで きません。このことは担当調整員にも報告済みで、何か良い方法を模索中です。その他に は配属先の組織体制や活動の方向性に大きな変化は見られません。

4.任国の人々との交流

8月に赴任して以来つい最近まで僕は毎晩ホームステイ先へお邪魔し、夕食をごちそうに なっていました。僕が病気になったときは、たびたび様子をうかがいに僕の部屋を訪ねて くれ、本当の家族のように心配してくれました。現在、夕食は自炊していますが、今後も 良い関係を保ち続けたいと思っています。ホームファ[ザーは、District faciritator で もあるので、彼と一緒に何らかの仕事もできるかもしれないと思ってもいます。また、タ ウンへ買い物に行く道すがら、地域の人々との交流も楽しんでいます。地域の人は現地語 で「ナサーラ(白人)!」と声をかけてきます。僕は「ナサーラ」と呼ばれるのが好きで す。たまに「何か買ってきてくれ!」と頼まれたり「結婚して日本へ連れて行け!」と言 われたりしますが、どうやらそれはあいさつ代わりみたいなもののようです。授業がうま くいかなくて落ち込んだ時も、彼ら彼女らから元気をもらっています。タウンまでは歩い て20分くらいかかりますが、僕はまだ自転車を持っていません。購入する予定はあります が、あまり使わないような気がします。てくてく歩きながらあちこち寄り道して、人々と 話をした方が楽しいし。

5.任国の生活習慣

僕は教員長屋に住んでいます。通称EU。ここには現在僕を含めて4人の先生が住んでいま す。生活習慣の違いを感じるのは、音楽です。彼らは音楽とともに生活しています。日本 だったら絶対に騒音問題になるくらいの音量で音楽を鳴らしています。彼らは音楽をかけ たまま寝ます。あまりにうるさくて眠れなかったので一度文句を言いに行ったこともあり ます。運動会ではプログラム記載時刻になっても、一向に競技がスタートしませんでした。 時刻どおりに会場に行ったのは日本人の僕一人。生徒は「アフリカ時間だよ」と言ってい ました。ガーナ人はあまり計画を立てず、その場で何とかしてしまおうという思考パター ンのような気がします。簡単な計画があっても誰もそれに従っていない・・・そんな中で、 どうしていいかわからなくなってしまうのは僕が日本人だからでしょうか?ガーナ人はそ んな中でも、不格好ながらもお互いに協力し何とか事を運んでしまいます。そんな不思議 な助け合い精神を彼らは持ち合わせています。良し悪しはともかくとして、その不思議な 能力は今後も大切にしてほしいと思っています。

3号報告書

2009年8月19日

要約

 早いもので「昨年の今日は何をしていたっけ?」と日記を見返すことができる時期とな った。ガーナへ来た当初は、見るもの聞くもの触れるもの、すべてが目新しく、面白いも のに見えた。今、1年の月日が流れその多くは日常化していっているように思う。しかし それは必ずしも悪いことではなく、物事冷静に見えるようになったということかもしれな い。

 授業も初めはやるだけでいっぱいいっぱいだったが、ICTを受け持つようになったこと で授業数も増えたにもかかわらず、最近では自分なりの工夫を試してみることができるよ うになってきたし、生徒の苦手とするところもだんだんに把握できるようになってきた。 もちろん、すべてがうまくいっているわけではなく、日々、授業のたびごとに一喜一憂し ているのは今も変わっていない。また、念願だった陸上競技の指導も運よく学校から依頼 され、チャレンジすることができた。ここでも、練習メニューを作ったり、トラックが雨 で消えてしまわないようにピュアウォータ(袋入りの水)の袋を使って目印をつけたりと自 分なりの工夫をすることができた。結果的にはガーナ人(異文化)の中で活動することの難 しさを痛感させられることとなったが、彼らの考え方、やり方に直接触れることができた ととらえることもできる。生徒との関係も同様で、距離が近づいた分、考え方というより は感覚の違いに戸惑いを覚えることも増えた。  初めは面白いと感じられたことが、自分との差異として認識されるようになってきたの が今の時期なのかもしれない。それは、彼らが変わったからではなく、自分自身が変わっ たからであろう。残り1年の任期を通して、僕の活動がどのように生徒や先生に影響を及 ぼすのかと共に、自分自身にどんな変化が起こるのか、興味深く観察してみたいと思って いる。

1.活動の進捗状況

 活動開始して1年が経ち、授業をすることにもある程度慣れてきた。それにつれて配布 資料を用いたり演示実験を取り入れた授業を行ったりすることができるようになった。活 動に興味を持ってもらえるように、生徒に配布した資料は学校にも提出しており、行った 実験も写真付きで月刊報告書内で触れるようにしている。生徒の人数が多いため全員に実 験をさせることは難しいが、できるだけ実際に生徒にやらせることを心がけている。また、 2学期途中からICTを指導するようになり、それに伴ってHTMLを使った簡単なテキストを作 成し、演習の時間に利用している。 授業以外の活動としては、3学期に生徒に対し陸上 競技の指導を行う機会を得た。これはUpper East州の陸上競技大会へ向けての約2週間の 練習である。練習に対する考え方の違いや、自分が途中で体調を崩してしまったこともあ り「もっといろいろなことがやれたはずなのに」という消化不良感とともに大きなストレ スを感じるものとなった。また、おおよそ週1回のペースで、同僚物理教師にコンピュー タプログラミング(C言語)の指導を行っている。生徒に対するものではないが、同僚教師 との関係作りに役立っていると考えている。

2.着任後1年時点の活動結果と課題及び課題に対する解決案

 物理の授業を行っている中で、計算力もさることながら生徒の図形把握能力の低さを感 じた。グラフの読み取りはもちろん、数直線上で2点間の距離を求めるような問題ができ ない生徒が非常に多い。そのため、授業ではできるだけ多くの図を描くように心がけてい る。その結果「図は重要である」という言葉が授業中の合言葉のようになりつつあり、テ ストの回答を見ても図を書いて考えようとするようになった形跡がみられる。図形の把握 能力は、そう簡単に向上するものではないと思うが、今後も図を多用した授業を続けてい きたい。 ICTに関しては、ICTを専門に教える教師がいない(それが普通なのかもしれな いが)ため、指導する教師がしょっちゅう変わったり、授業が行われていなかったりして おり、他教科以上に指導内容が共通化されていない。生徒数に対するコンピュータの台数 の不足、各クラス間の生徒数の違いが大きい、などの要因もあり、全体的に問題を抱えて いるように見える。この問題を解決するのは容易ではないが、自分が利用したHTMLテキス トを他教師に紹介するなどして指導内容の共通化を図ってみたい。

3.現地支援制度活用計画

特になし。

4.社会的格差に関する所見

 現在学校には4人の女性教師がいる。全教師数が約40名なので、人数の割合としては少 ないかもしれないが、職員会議などでは男性教師と変わりなく発言しており、仕事上での 格差は感じられない。生徒も女性教師に対して男性教師と変わらない対応をしているよう に見える。生徒同士も男女の格差は感じられない。男子生徒と女子生徒が手をつないでい るのをしばしば見かける。ガーナでは男性同士でも手をつないで歩くことがよくあるので、 日本とは若干感覚が異なるが、このことからも男女間の差というものはあまり感じない。 しかし、タウンやマーケットへ行くと、女性の方が働いているように感じる。店で物を売 っているのも女性の方が圧倒的に多いし、商品を運んだり水を汲んだりしているのも女性 が多い(ただし肉売り場に女性がいないような気がするのは気のせいか?)。男性は何を しているのだろう?ちなみに生徒に水汲みを頼むと、女生徒の方が圧倒的にうまい。バケ ツすり切りいっぱいの水を頭にのせて、ほとんどこぼさずに運んでくる!(ただし僕は女 生徒に水汲みを頼んだことは、ほとんどないです。)

5.日本と任国の違い

 ガーナでは、教師が生徒によくものを頼むし、生徒も快く?引き受けている。僕も生徒 に物を頼むことがある。例えば、ピュアウォーター1袋(30パック入り)買ってくるのを生 徒に頼み、僕は“お礼に”1パックあげたとすると、生徒は「先生は僕を助けてくれた(助 けてくれる)」と感じるようだ。で、次回僕の部屋に来た時「先生水ください」と言って くる。僕が断ると「先生は僕を助けたくはないのですか?」というようなことを言ったり する。ガーナ人は確かによくものを手伝ってくれる。助けてくれる。が、と同時に助けて もらうことも当たり前のように思っているような気がする。言い換えれば、「助け、そし て助けてもらうことを粋に感じている」節がある。これがガーナ人の(ちょっと過剰な)人 なつっこさを作っているのではないか?それに対し日本人は、「助けてもらうことはある けれど、自分のことは自分でやれるのが一人前」という考えを持っていると思う。言い換 えれば、日本人は「人に助けてもらうことをあまり良いことだと思っていない」傾向があ るのではないか?良し悪しはともかく、この差が時として日本人ボランティアをイライラ させる一つの要因になっているように思う。

4号報告書

2010年1月3日

要約

 1年報告会からあっという間に半年が流れ去り、任期もあと半年となった。学校の視点 からすると新しいAcademic Yearが始まり、僕の視点からすると活動は2サイクル目に入っ た。赴任当初は、右も左も分からず、まるでロールプレイングゲームの LEVEL0 の登場人 物のような状態であったが、今はある程度次に起こることを予想して動くことができるよ うになった。ただし、今学期前半戦は、僕にとっては担当コマ数が多く、なかなか苦戦を 強いられた。しかしそんな中でもプロジェクターを利用した授業を展開してみるなど、ひ るむことなくチャレンジできた点は評価したいと思っている。

 僕が学校での仕事を把握するにつれ、授業以外の仕事を頼まれる機会も増えてきた。中 には雑用みたいな仕事もあり、正直「まわりに暇そうなガーナ人教師がいるのに、何で僕 に頼むのさ!」と思ったこともあったが、「考えてみれば僕もこの学校の教師の一員なの だし、それもありか。」「任期も少なくなってきたので、やれることは何でもやってやろ う!」と腹をくくった、というか、悟りの境地に達した感じがしている。それにそのよう な仕事をすることで、周りのガーナ人教師との距離も縮まっているように感じている。

 そんな中、当初の計画にはなかった依頼も出てきた。それは同僚の物理教師と数学教師 が成績を処理するシステムを作りたいと言い出したことだ。現在うちの学校では(そして おそらく多くの高校では)各生徒用の成績表を全て手書きで記入している。それをコンピ ュータを使って印刷したいというのが彼らの希望だった。彼らのアイディアを主に採用し つつ、できるだけシンプルなシステムを目指して現在開発中である。

 この半年間も、山あり谷ありだったが、気がつけば残りもあと半年。大好きなヤギちゃ ん達とともに、任地Zebillaの生活を楽しみつつ、自分にできる精一杯をこの地に残せた らいいなぁと思っている。

1.活動の進捗状況

 学校は新しい Academic Year を迎えた。この時期学校は一時的な教師不足に陥る。今 回はICTの教師が不足したため同僚の物理教師がICTを担当し、僕が2年生3年生の物理を全 て受け持つことになった。結果、授業数は週28 Periods となった。できない数ではない が、授業準備が間に合わず2年生の授業は昨年のレッスンプランをそのまま利用してしま ったこともあった。

 学期も中盤を過ぎたころ、新しい教師7名が赴任し、教師不足はかなり解消された。そ れに伴い学校の指示により、僕は3年生を解放し2年生の物理のみを担当することになった。 これによって時間的余裕もでき、2年生に対する授業を昨年のレッスンプランを基にして、 改善することができるようになった。一方で解放した3年生から引き続き授業を担当して ほしいという申し出があったが、学期もすでに終盤に差し掛かっていたことと、学校側の 決定でもあるので今学期は見送った。次学期に3年生向けに何らかのサポートをしたい。

 ICTに関しては、新しい教師が加入し、彼が積極的に指導を行っている。プレゼンテー ションソフトも巧みに使いこなす彼は、独自のテキストブックを作成中であり、今後の彼 の活躍に注目している。

2.課題解決に向けた取り組み・進捗・結果

 活動1年時点で問題と感じていた生徒の図形把握能力の向上を目指して引き続き図を多 用した授業を行っている。今学期工夫したのは主に以下の2点である。

 一つは今学期はじめに学校に入ったプロジェクターを利用した授業を行ったことである。 3年生に幾何光学の授業をする際に、多数の図を用いる必要があったため、プレゼンテー ションソフトで動きのある教材を作り使用した。プロジェクターを使用すると生徒が単に スクリーンを眺めるだけになってしまいがちなので、多数のハンドアウトを準備し、プロ ジェクターを使って説明したことを基に生徒一人一人に自分の手で作図させるようにした。 生徒は作図作業を楽しんでいるようであったが、期末試験の結果から判断すると効果は今 一つであった。

 もう一つは今学期から黒板に書くすべての図を黒板用の定規を使って描くようにしたこ とである。これには意外な効果があった。それは、単に黒板に描く図がきれいになっただ けでなく、僕がベクトルの図などを長さを計って描いているのを生徒が見て、まねし出し たことである。黒板で問題を解かせた際も、特に指示はしていなくても定規を使って長さ を計ってより適切な図を描くようになった。

3.活動事例の紹介 成功例・失敗例

 授業関連の事例は2.で述べたので、授業関連ではない活動について記述する。一つは、 新入生の学生証作りである。学生証のデザインなどは、ガーナ人教師自身にやってもらう ようにし、自分はサポートする側に回った。はじめ彼らは写真のサイズ変更を1枚1枚手作 業で行っていたので、写真の切り抜きとサイズ変更を一括自動で行えるように工夫してあ げたら非常に喜ばれた。写真撮影に来ていない1年生がまだいるため作業は続行中である。

 もう一つは、学期初めに同僚教師が成績処理システムを作りたいと依頼してきたので、 アイディアはガーナ人教師、作りは自分というやり方で作業を進めている。当初は今学期 末の成績処理から使用する予定だったが、お互いに授業と並行で作業していたため、結局 間に合わなかった。僕の任期はあと半年なので、その間にこのシステムを使うチャンスは 実質あと1回しかなく、安定して使えるものになるかどうか不安が残る。しかし、同じよ うなシステムを作る要望が、Jukwa Senior High school でも出ているので、そこで活動 している20年度4次隊の○×△□隊員にこのシステムを引き継いでもらうことになってい る。彼女の活動に期待したい。

4.任国の人々の変化(活動のインパクト)

 最近、授業関連以外の仕事を振られる機会が増えてきた。問題用紙のホッチキス止めや 解答用紙へのハンコつきといった雑用からシステム開発といったことまでいろいろである。 単なる雑用係になってしまっているのではないか?と思うこともあるが、彼らが僕を「日 本から来たボランティア」というお客さん扱いから少しずつ「同僚」という見方をするよ うになってきたのだと、いい方に解釈するようにしている。彼らは僕が日本人であるから いろいろ気を使ってくれているが、最近僕は同僚教師から「White Ghana Man」と呼ばれ ることがある。嬉しいような、悲しいような。

 また、はじめはおそらく「英語のできない日本人がどんな授業をしているのかな?」と いう視点で授業を覗きに来ていた同僚教師達も、最近は少し違った視点になってきている のを感じる。特に学校に入ったプロジェクターをいの一番で僕が使いだしたときは、物珍 しさも手伝ってか、教頭先生や、数学や物理、ICTの先生が入れ替わり立ち替わり授業を 見にやってきたし、併用したティーチングマテリアルに対しても興味を示していた。任期 半年を残すこの時期になって、ようやくそんな段階に辿り着いたという状態である。

5.任地の特産品

 僕の任地 Zebilla は、草原が多くヤギにとっては非常にいい場所である。特産品とい うわけではないが、ヤギについて書いておきたい。活動1年を迎えたあたりに、僕は1匹の ヤギ(ウメ)をペットとして飼い始めた。僕にとっては、初めてのペットである。その後も う一匹小型のヤギ(小ウメ)を飼い、さらに幸運にも Baby(モンジロウ/モンちゃん)が誕生 した。僕らは家族のように暮らした。ヤギの飼い方を生徒に聞いたりして、生徒や地元の 人々とのコミュニケーションにも一役買ってもらった。可愛がっていたモンちゃん は病 気のため、残念ながら約3か月という短い命でこの世を去った。モンちゃんの命を救うた め、動物病院に運ぶのを同僚教師に手伝ってもらったり、そこで働く獣医さんたちとも出 会ったりした。命が生まれる喜びと、失われる悲しみも味わった。ヤギの数が変わるたび に、家族間の関係も微妙に変化した。ヤギから多くのことを学んでいる気がする。結局の ところ「ヤギ社会も人間社会も、愛情争奪戦なのかな?」というのが現在感じているとこ ろである。そして今、小ウメが病気になっている。獣医さんも僕も全力を尽くしていると ころ。回復してくれるといいのだけれど。

5号報告書

2010年5月26日

要約

 「先生、図を描くのは時間の無駄ではないか?」物理の授業中、そんなことを言ってく れたのは2年生の生徒だった。僕の活動もいよいよ終わりを迎える。この2年間、日々の授 業を中心としながら、同僚教師と一緒に、陸上競技の指導、コンピュータプログラミング の勉強、成績処理システムの開発、生徒のIDカード作り、などなど様々なことをやってき た。一つ一つはとても地味なものだったが、そんな活動を通してお互いの考え方や行動の 仕方の違いなどを知り、少しずつ影響を及ぼしあっていったと思う。そんな毎日の積み重 ねがこの2年間を埋めていった。

 2年間の活動を通して、一貫して心がけたことが2つある。一つは授業中に図を多用して、 現象やその本質をイメージできるように工夫したこと(対生徒)。もう一つは、自分が活 動の中心にならないようにしたことである(対学校)。特に活動前半は授業をすることだ けでいっぱいっぱいで、部屋にこもって授業準備していたことが多かったため、ちょっと 影が薄かったかもしれないが、要所で自分が持っているスキルを小出しにしていたことで、 学校やガーナ人教師側から「ああしたい」「こうしたい」を引き出すことができ、後半の 活動につなげることができたと思っている。

 日々の授業に関しては、「今日は、みんな表情もよく、理解してくれていそうだな」と 思ったら次の授業では、なんだか反応が悪かったり。山あり谷あり一喜一憂の連続だった。 授業がうまくいかず、落ち込んだこともあったが、「Master Welcome!」と言って迎えて くれる生徒達や、マーケットへの道すがら、笑顔で駆け寄ってくる子供達に癒された。

 もうすぐ任地のZebillaを後にして、日本へ帰る。この2年間の経験は、今後の自分の人 生にじわじわとしみ込んでいくだろう。そしてもし僕の話を聞きたいという人に出会った ら「先生、図を描くのは時間の無駄ではないか?」と言われたことから話してあげたいと 思う。

1.活動結果

 物理の授業で一貫して行ったのは「図を描いて考える」ということだった。彼らは「ぱ っと公式を適用して答えの数値が出せるのがスマート。図を描くなんて子供っぽい。」と 考えているようだった。しかし、彼らがその公式の意味を理解できているかと言えばそう でもなく、問題が解けるかと言えば解けていない。僕は彼らの抵抗を背中に感じながらも 図を描いて考える方式を授業で続けた。結果「先生、図は重要だね。図を描くと、問題が 解けるよ!」と言ってくる生徒も増えた。日本での教師経験なしの自分が、ガーナ人教師 もびっくりするような“いい授業”を英語ですることは難しかったが、図を用いて状況を 把握したり、問題を解く際の手がかりとしたりする方法を紹介し、実際にやらせたことは、 生徒にとって良い経験になったのではないかと思う。

 授業以外の活動は、陸上競技の指導、試験の準備など事務的処理のサポートなどなど様々。 コンピュータを使っての成績処理の方法などにおいては、ガーナ人教師への技術移転があ ったと思うが、「日本人の勤勉さ」を示すにとどまったものも多い。「俺たちは日本人み たいには働けないよ。」とつぶやいた同僚教師がいたことは印象深い。

2.要請の妥当性

 配属先は、教師・生徒共にとても温かく僕に接してくれた。また僕が自分にどんなスキ ルがあり何ができるのかを普段からちらつかせておいたせいか、常に学校や同僚教師側か ら要望を引き出すことができたので、活動自体は非常にやりやすかったと感じている。つ まり、自分が活動の中心になるのではなく、あくまでその活動の中心は学校やガーナ人教 師にあるという状態を保つことができ、2号報告書で述べた自分の思惑を貫くことができ たと思っている。

 ボランティアに対する配属先の意識は、日本人であるということ(パニッシュメントは しにくい等)を考慮してくれつつも、最終的には学校の一教師、一スタッフという見方で あったと思う。試験監督やMaster On Duty(教師の週番のような仕事)もガーナ人教師と 同様に振ってもらえた。僕は理数科教師として学校に配属されたので、一教師としてガー ナ人教師と共に働くことができたことをうれしく思っている。当初の要請内容通り物理の 授業をメインとして持たせてもらい、その他にICTの授業や陸上競技の指導をする機会も 与えられ、自分の持つスキルを活かした活動を行うことができた。これらのことからも要 請は妥当であったと考える。

3.活動成果の配属先による活用の見込みと今後の配属先への支援の必要性

 配属先と言った場合、構成要素として同僚教師(学校そのもの)と生徒の2つがあるが、 自分の主な活動が授業であったことから、その対象の大部分は生徒であったと言える。生 徒は配属先を「卒業」していくので、活動成果の活用の見込みは生徒の将来の生き方にか かっている。

 学校での活動成果で目に見えるものとしては、同僚教師と一緒に作った成績処理システ ムがあげられる。まだ手書き用のレポートブックが残っているという理由から、残念なが ら僕の任期中にこのシステムが使われることはなかったが、Jukwa Senior High School (20年度4次隊○×△□隊員の配属先)で、このシステムをカスタマイズしたものが使用 され、成績が処理された。

 同僚教師の授業を見ると、実験室がなくても化学実験を生徒に行わせていたり、グルー プディスカッションを行ったりと工夫を凝らして授業をしている教師もいる。日本以上に 教師によってばらつきは多いが教師の数、質ともに向上しているためJOCVを入れるのであ れば、高校教師経験者が望ましい。そうでない場合は、人員を高校ではなく初等教育の改 善にあてた方が効果的であろう。その意味から配属先への今後の支援は必須ではないと考 える。

4.ボランティア経験について

 「なさーら!(白人)」現地の人は、僕をそう呼ぶ。が、僕の名前を呼んでくれる人も増 えた。子供達は僕を見つけると駆け寄ってくる。井戸も遠い、タウンも遠い、トロの乗り 場も遠かったけれど、2年間自転車を使わなかったのは、そんな子供達に僕自身がだいぶ 癒されていたからだ。もちろん一方でガーナ人の過剰な?人懐っこさにイライラしたり、 時間に対するルーズさにキレそうになったりしたこともあったが、活動終盤には、そんな 文化の違いにゆさぶられる自分を少し離れた所から眺める視点がはぐくまれ、右へ左へと 揺れる自分の心の動きを楽しむことができるようになった。異国でのボランティア経験に よって、このような視点を手にすることができた事が、自分にとって非常に有益であった と思う。

 教師経験なしで臨んだ理数科教師という職種。2年たった今、英語で不自由なく授業で きるようになったとまでは言えないが、演示実験や図を用いてある程度わかりやすい授業 はできるようになったと思う。任期終了に近づいた頃、自分の学校以外の生徒(タマレの 生徒)に3週間ほど授業をする機会があったが、僕の授業に慣れていない彼らにもちゃん と内容は伝わっているようであった。

5.帰国後ボランティア経験を社会に還元又は発信するための方法と計画

 帰国後、自分がどんな職業につくのかまだ分からないが、どのような場面においても、 このボランティア経験は、直接的間接的に自分やまわりの人々に影響を及ぼし、還元され ると考える。

 より積極的な方法としては、おそらく最近の隊員の多くが用いているであろうインター ネットを使った情報発信を一つの方法として考えている。すでにガーナ着任から毎日の活 動記録(と言ってもメモ書きみたいな感じ)を通常のWebページで公開しており、後輩隊 員の中には、日本でその記録を読んでくれていた人もいたことから、ボランティア経験の 情報発信の方法として有効であろう。日本に帰国後、内容を充実させる予定。また、直接 自分の経験を話す機会があれば、この2年間の経験を写真などの資料を交えて積極的に話 したいと思っている。